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2017年5月22日 (月)

咲樹が旅立って2週間(ものすごく長文)

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咲樹が旅立ってから、2週間になる。
もっと、ずっと、昔のような気がするのは何故なのかな?

5月6日の土曜日の午前中、
咲樹の状態の報告と、便秘の相談で、
獣医さんに電話をかけた。

電話口で獣医さんは、
食べる量が少ないので、仕方がないでしょう。
そうですね、栄養剤の点滴をしましようと言われた。

咲樹が、少しでも楽になるといいなと思い、
獣医さんに連れて行くことにした。

咲樹は、朝食を済ませ、散歩を済ませ、
獣医さんへ行って、車から降りて、自分で歩いて、
少し嫌がりながらも、獣医さんのドアに入った。

今後の治療方針を相談し、
別の抗がん剤もあるというお話を聞き、
その後、胸部レントゲンを撮ったところ、
肺が真っ白で、末期状態です、さっき言った抗がん剤治療の事は
忘れてくださいと言われた。
こういう状態でよく歩いているとも言われた。

そんなに長くは生きられないことは、私にもわかっていた。
夜寝る時の呼吸が辛そうだった。
ご飯も、自分では食べることが出来ず、
水も喉の奥には送り込めなくなっていた。

2日前から、
食事は、小さくして、舌の上に置き、飲みこませていた。
水はシリンジで、舌の奥に送り込んでいた。

それでも、咲樹には、まだ生きる意欲を感じていた。

立つのに時間はかかったけれど、
立てば、すこしずつ、上手に歩いた。

私が、むくみで体重が増えているのだと思うが、
良い方法はないかと相談した。

獣医さんは、胸水を抜けば、
少し呼吸が楽になるかもしれないと言われた。

胸水を抜く準備をして、
咲樹を横にして、注射器を刺した。
咲樹が動いて、針が抜けた。

もういちど、注射針を刺した。
すると、咲樹の呼吸のリズムがおかしくなった。
酸素吸入が処置された。
ほんの1分ほどの処置のあと、咲樹の呼吸が止まった。

咲樹は、あきらめてしまったのだと思う。
ギリギリで、がんばっていた咲樹には、
いっぱいいっぱいだったのだろう。

ごめんね、咲樹ちゃん。
獣医さんは、一生懸命手当をしてくださったけれど、

本音でいえば、穏やかに家で見送ってやりたかった。

咲樹は、がんばった。
末期だった。

でも、悔いは残っている。
どんなことをしても、悔いは残るのだと思う。

沙羅のときも、林檎の時も、悔いが残ったっけ。

家に連れて帰り、
いつもの咲樹のマットに寝かせた。

お花とお菓子を買いに行き、
咲樹に似合いそうな花と
咲樹が好きそうなお菓子をえらんだ。

お花とクッキーで、咲樹を飾った。

翌日、5月7日、日曜日、

立会いの個別火葬で、見送った。
咲樹は、透き通ったような、毅然とした美しさだった。

1時間半で、火葬が終わり、
お骨の中から、小さな指骨と尻尾の骨を選び、
それをロケットの中に入れてもらった。
そして、ほかのお骨は、パウダー状にしてもらい、
ふたりでそれを、骨壺に、収めた。

家に帰って、ずっとぼんやりしていたような気もするし、
あわただしく動きまわっていたような気もするし、
まったく、覚えていない。

きりんに、変わった様子はなかった。

5月8日 月曜日

一日、咲樹の写真を探しまくった。
小さい頃の写真から、アジリティー競技会の写真から、
家の中の咲樹、旅行中の咲樹、
変顔の咲樹、笑っている咲樹。

咲樹は、あまり写真を撮られることが好きではなかった。
だからか、変な顔の写真が多い。
その中で、私の好きな可愛い写真を集めて、
21枚のアルバムを作った。

5月9日(火曜日)
21枚の咲樹の写真アルバムを、フェイスブックにアップした。
林檎が旅立ったときは、
フェイスブックに上げることが出来なかった。

あんなに、楽しげに、がんばって生きてきた林檎に
賞賛と感謝のメッセージを送ることが、出来なかった。

私自身、いっぱいいっぱいで、余裕がなかった。

林檎が教えてくれたのだと思う。
咲樹が旅立ってからの、私の心の動きは、
林檎が教えてくれていると感じた。

5月10日(水曜日)
咲樹のアルバムに、コメントをいただいて、
なんども読み、励まされ、感謝した。
咲樹を覚えていてくれていたことが、ほんとに嬉しかった。

この日から私は朝起きると、毎日、そのアルバムを見た。
心から楽しそうな咲樹の21枚の写真を繰り返し見た。
みるたびに、心がなごんだ。
そして、心が落ち着いていった。

私は、なるべく、出かけるようにしていた。
家にこもりきりにならないようにしていた。

咲樹の食器は、そのままで、
ベッドもそのままで、
咲樹のために、通販で頼んだ、クールマットとお菓子は、
結局、咲樹には間に合わず、
きりんに与えることになった。

それから、なにがあったのだろう?
あれから、2週間、なにをしていたのだろう?

そうそう、水曜日か木曜日に、
きりんのアジ練習に訓練所に行った。
1時間、きりんと遊んだ。

その1週間前の訓練所には、咲樹が居た。
ゆっくりとしか歩けなくなっていたっけ。
そんなことばかり、思い出していたような気もする。

そして、週末の日曜日、
JKCのアジリティー競技会に参加していた。

行くかどうか、ぎりぎりまで迷った。
自分自身をコントロールできないのではないかと
やや不安だった。

きりんは、シーズンに入っていた。
出陳表では、3番目だったが、
それで、出番は最後になった。

これが幸いしたのだと思う。
時間をかけて、自分を落ち着かせることが出来た。

午前中は、知っている人に会う事を避けていた。
声をかけられることが不安だった。

わたしは、頭に気が上ると、なかなか下ろせない。

頭に気が上った状態では、
アジリティーは出来ない。
それでは、きりんに申し訳ない。
なんとか、気持ちをコントロールしたい。

しかし、不思議なもので、
2~3時間もすると、友達に、咲樹の話をされても、
落ち着いて、会話が出来るようになっていた。

私は、私の中の消化できないものを、
細かく砕いて消化しようとしていた。

5月17日(水)
九十九里のLAに行った。
AGのコースを組んで、きりんと遊んだ。
練習を終えてから、海岸に行った。
雲があつく、風が吹いて、涼しい日だった。
人がほとんどいなかった。

2週間とちょっと前、LAにも海岸にも咲樹が居た。
広い砂浜を、一生懸命、歩いていた。
寄せる白波の向こうをじっと見ていた。

5月20日(土曜日)
朝から、理由なく、苛立っていた。
咲樹のお骨と、写真を、2階の寝室に移した。
咲樹のマットとベッドを洗った。
ネットで、写真立てを2つ注文した。

5月21日(日曜日)
咲樹が旅立って、2週間、
その間、なにをしていたのかを、振り返っている。
やっぱり、咲樹のことを、考えている。
きりんに、悪い影響がないように、
出来る限り、押さえているつもりだが、
私はアホだから、きりんは、とっくに、私の気持ちを汲んでいる。

実は、きりんは、すこし、元気がない。
いつも、自分を見てくれている咲樹が居なくなったことを
きりんは、どう、感じているのだろう。

きりんちゃん、
私は、もうすぐ、立ち直るからね。

ありがとうね、
迷惑かけてばっかりだけど。


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